皆さま、こんばんは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&ガイディング・コンサルタントの小川正美です。
今日は、春分の日ですね。昨日も言いましたが、春分の日は、西洋占星術では1年の始まり(太陽が牡羊座に入宮する日)です。
春が1年の始まりって、日本の学校や行政や多くの会社の年度とも同じで面白いですよね。
やはり、大地から新芽が芽吹き花が開く春の季節は、体感的にも「始まり」感はありますよねえ。
さて、前回の記事で、人の期待に応え続けると人に対して「自分がやったんだからあんたも期待に応えるべき!」という観念・思い込み(別名・中学の部活の先輩が後輩に自分たちもしていたという理由だけで廊下での挨拶を強要するの法則)を持つようになっちゃうから手放したいよね、というお話を書きました。
その記事の中で、
>手放すには、
>やはり、過去の自分が人の期待に応えて頑張ったこと、すなわち自分の愛が素晴らしかったことを認めて受け取ることが必要ですし、
>さらには、期待してきた人(多くは親でしょう)がそうしたこと・そうせざるを得なかったことを許し、その人なりの愛をこれまた受け取る必要もありますし。
>そうすると、漏れなく、愛される価値のある自分も受け取らなければならないですし。(案外これが難しかったりする(笑))
と書きました。「受け取る」って3回も書いてますよ、大事なことなんでね(笑)
この部分、サラッと書いたのでもう少し具体的に書きたいなあと何となく思っていたら、さっきふと思い出したことが「受け取る」に繋がったので、今日は「愛を受け取る」の話をしたいと思います。
ある程度自分の魅力を受け取っている恋愛経験が豊富な女性の1つの傾向として、
女性が彼に尽くす→相手の態度が悪くなる→女性がますます尽くす→ますます彼鵜の態度が悪くなる・・・のスパイラルを経て、
ある日突然、「あれ?私、なんでこんな男に尽くしてたんだろう。あほらし。」と憑き物が取れたようになり、彼氏をバッサリと斬る。(彼氏呆然自失)
以後、その彼に対して「大切な人を大切にできないクソ男」というラベリングをして、上書き保存どころかゴミ箱に捨てて、自分磨きに精を出し、良い男性(スペックだったり情熱を燃やせる相手だったり)を求めるようになる。
というものがあると思います。
そういう女性をまあまあ見てきたし、私もこのパターンに似た感じになったことはあります。
それが悪いわけではないし(彼にも不誠実なところがあったのでしょうし)、彼女たちは自分磨きを怠らないので、それこそ結果としてものすごい高嶺の花になっちゃうことも多くあるのですが。
ただ、このパターンの場合、おそらく、女性の心の中には、
実は自分に自信がない(例えば恋愛経験豊富ゆえにこの人もいずれは私に愛想をつかすんじゃないかという不安があったり)ので、「不安だから彼に尽くす」という犠牲心と同時に、
とはいえ、ある部分(自分のスペックとかコミュニケーション能力とか)では自分に自信があるので、「自分が尽くしたんだから同じ分だけ彼に愛して欲しい。彼は愛するべき」という取引(期待)が、
同時に存在しているように思います。
昨日の話と繋がったぞ。
なので、女性が尽くす→彼の態度が悪くなる、のスパイラルは、まあ、もちろん男性の性格等にもよるにせよ、かなりの部分自作自演だと思ったほうがいいんですよね。
相手のためを思って何かをした時に、その純粋な気持ちに加えて、「私はこれくらいしないと価値がない」とか「この私がこれだけやったんだから同じ分だけ返しなさいよね」とかいう感情エネルギーが乗っかっていたら(矛盾するようですが、こうした感情も同時に存在するものですよね。人間だもの。)、
それは、お相手としては、やっぱり、「ああ、そうなんだ。じゃ、ごっつあんでーす。今度はこれよろしくな」となったり、「えー。そんなの返せねえよ。頼んだわけでもないのに押し売りするなよ。」ってなると思うのです。
これは恋愛だけじゃなく人間関係全般に言えますが、恋愛で起こりやすいですよねえ。
で、ネガティブスパイラルに陥ってから、女性がある日突然、切れて、斬る(笑)
基本的な自己肯定感は高めなのでこういうことになりがち。
とはいえ、女性も彼を斬る時の罪悪感を感じたくないので、「大切な人を大切にできないクソ男」というラベリングをします。自己正当化して、罪悪感を見ないというわけです。
ちなみに、このラベリングは私も元夫にしましたよ・・・胸が痛い。ごめんね。
で、女性は、また新たなパートナー探しの旅に出るわけですが、同じパターンに何度か嵌っていくうちに、どんどん自信を失くします。年齢を重ねることで自信喪失する時期もあるし、出産を考えて焦る時期もあるしね。
そして、永遠とも思われるパートナー探しの旅が続くという・・・(え?私?笑)
じゃあ、このパターンを繰り返さないために、どうしたらいいのか?ということですが。
ここで、冒頭の「受け取る」ですよ。自分の価値を受け取って、観念・思い込みを外していくことですよね。
・自分の価値を受け取って、無価値感を癒す。自分には価値がない、という観念を外す。
・自分の求めている愛し方とは違う、相手の愛を受け取る。
この2つができれば、
自分は価値がないから尽くさなきゃ、と思わないので自然体でいられるから、かえって愛されやすくなるし、
「私がこれだけ与えたんだから同じぶんだけ返せ」というこだわりも手放せるので。彼からの愛を取引で奪おうとしなくなり、
かつ、彼の愛情表現が自分の求めているやり方と違っても、そこに愛があることを感じられるので、幸せな気分でいられるし、ますます自分は愛される価値がある、と思うことができる。
というわけです。
相手の愛を受け取れないから自信を失くすし、自分に自信がないから相手の愛を疑うし、っていうネガティブスパイラルの逆のポジティブスパイラルです。最高やん。
そうは言っても、受け取れないのよー---!!とお嘆きの皆さま。よく分かります。
でもね、受け取らざるを得ないんですよ。
きっとよく気が利くあなたは、犠牲や取引の成分があったとはいえ、もしかしたら不器用だったはいえ、彼を喜ばせたい気持ちは本当だったでしょう?
そもそも、ある日突然キレて斬る(笑)ことができるくらい、自分は本来大切に扱われるべき人間だって知っているんでしょう?それくらい、親御さんや元カレや友人や、色々な人たちがあなたを大切に愛してくれていたんでしょう?
与えた分だけお返しされる、与えられたらお返しする、という愛し方は、おそらくご両親譲りの愛し方かもしれなくて、それは条件付きだったかもしれないけれど、親御さんたちもその愛し方しか知らなかった可能性が高い。愛がないわけじゃあないでしょう?
自分が一番なじみのある愛し方をした、そのこと自体は責められるようなことじゃないでしょう?
一所懸命に愛したけれど上手くいかなかったら、次に不安になるのも仕方ないよね。だからといって、あなたの価値が減っているわけではない。
むしろ、色々な経験をして人生の学びを深めて、より人間味が豊かで人に優しくなっているに違いないのです。
心理学において「受け取ることは与えること」と言われるのですが、実は、私はよく意味が分かりませんでした。
受け取れるものは受け取れる、そして、それによって与えてくれた人が喜ぶ=与える、という意味で捉えていました。
それも間違いではないんですけれど、今、私は、こう思います。
愛を受け取ること、ことに自分が受取りにくい愛情表現を愛として受け取ることは、与えることと同じくらい能動的に、相手のことを見て、理解して、愛さなければできない。
つまり、愛を受け取ること=愛すること=与えること、なんですよね。
春分の日。
皆さまも、身近な愛をぜひ受け取ってみて下さいね。