皆さま、こんばんは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&ガイディング・コンサルタントの小川正美です。
数日前に、ふと思ったのです。
さっきふと思ったんだけれど、私はこれまでの人生で本当の意味で大切な人の話を聴いてきただろうか?
相手の話を一切否定せず反論せずまずは受け容れるということをしてこなかった気がする。
仕事(刑事事件の被害者との示談とか)ではそういう聴き方をするけど、それは人のことだからできただけかも。— 小川 正美/たまに戦う弁護士・ガイディングコンサルタント (@MasamiOgawa_LLL) March 24, 2022
今日、YouTubeでお話をしたのですが、刑事事件の弁護人として被害者の方と示談する際、私は、最初はとにかくお話を聴くようにしています。
虚心坦懐に全身全霊で、相手の話を一切否定せず、ジャッジせず、ありのままに聴く。
相手の感情に対して自分の態度や醸す空気で共感する。
とはいえもちろん、被害者の方は、私が加害者本人ではないということもあって、感情の全てを吐き出してくれるわけではありません。それぞれのもともとのタイプにもよりますし。
ただ、やはり、加害者本人ではないとはいえその弁護人であるということや私が上に述べたような「お話を伺います」という態度でいることから、被害者の方の被害感情が漏れ出ることが多いです。被害が重大であれば当然感情も大きくなります。
今振り返ると、示談の場というのはとても大きな感情エネルギーを交換しているなあ、と思います。
感情エネルギー、特に負の感情は、それこそ時に人を犯罪行為に至らしめるほどの威力があります。危険です。
ヒリヒリするような緊張感が走る場になることもあります。このため、基本的には、第三者のいるホテルのロビーなどでお話をします。
私は遭遇したことはありませんが、隣で婚活とかやっていたらなんだか人生の縮図的な感じですよね(笑)
ただ、だからこそ、この爆発的なエネルギーを一部であっても解放することは、被害者の方の心にとってもポジティブな意味があると考えています。
言葉は悪いですが、ストレス解消、ガス抜きとも言えるでしょう。強い感情を抑圧し続けると余計に溜まって爆発しますから、感情はどんどん出した方がご本人のためでもあるし周囲のためでもあります。
話を戻すと、この本気で話を聴くという行為は、やってみると分かりますが、想像以上に疲れます。
一切言い訳をしない、ということですし、相手の話している内容に対して「それはちょっと一方的じゃ・・・」「そんなこと聞いてないけど?」「ヒステリックだなあ・・・いやだなあ」等々の想念や感情が浮かんできても、瞬時に手放していきます。
我慢して呑み込んでしまうこともあり得ますし、それも仕方ないのですが、勘の鋭い相手には呑み込んだことがバレます。バレて「ホントはバカにしてるんだろ!」的なキレられ方をすることもあり得ます(私は刑事事件では経験はありませんが)。
なので、全面的に相手を受容するのです。
「この人は、そう体験したんだ。そう感じたんだ。そう思っているんだ。」と。
ここでは自分軸が試されます。
共感したからといって他人軸になってしまうと、相手の要求に合わせなければならない、と思ってしまって、ご機嫌取りをしてしまったり、それだけならまだしもできもしない約束をしてしまう可能性だってあるからです。
相手との境界線をきっちり引いて、自分は自分、相手は相手、と見えない壁を作ります。
でも、人として、共感はするのです。しかも心から。
ぶっちゃけ、難しいです。難しいし、めちゃめちゃ心のエネルギーを使います。
私も、これは仕事だから、つまり一定程度距離があって一過性の関係の相手だからできるんだと思っていました。
だから、プライベートでは、本気で話を聴くということをしてこなかったのですが・・・。
でも、プライベートでも聴いたらいいんじゃないかと思ったのです。
なぜなら、大切な人だからこそ、それだけの自分の心のエネルギーをかける価値があるから。
近しい関係の人の話を本気で聴くことをしないというのは、私の甘えに過ぎないなと思ったから。
それに、仕事で本気で話を聴くことをしてきて、話をした相手の心が動いて雰囲気が柔らかくなったり時にご自身の中の愛に気づいたりといった成功体験があるから。
それなのにエネルギーを消耗するからといってプライベートで本気で話を聴かないのは、「私は努力したくない。あなただったら許してくれるでしょ。」という私の甘えだな、と本当に思ったから。しつこいようだけど(笑)
でもね。
プライベートで本気で話を聴くというのは、想像しただけでも大変です。まだ実践してないけど(笑)
口論の末に疎遠になった女友達や、過去の彼や元夫とケンカをした時を思い浮かべると・・・。
自分と心の距離が近い分、反論したくなる。相手の悪いところが目に付く。
「私も悪いけど、あなただって・・・」というもっともらしい正義に寄せて反論してしまいそう。自分を守りたくなる。
自分の言ったこと・したことを責められるんじゃないかと思ったら怖くて仕方がない。
さらに言えば、そんな場を持てない可能性、相手が拒否する可能性も高いんじゃないかと思ってしまう(これは私の逃げる言い訳だなあ(笑))。
関係が終わる恐怖。「あんたにそこまでエネルギーを使うのはイヤ」とか言われて傷つくのが怖い。無価値感。
他人事の仕事であってもあれだけしんどいのに、自分事で、私へのクレームを全て受け容れて共感することができるだろうか、いやしたくない、という保身。
でも、私は、これからは、大切な人の話を本気で聴くことにしました。全部はできないかもしれないけれど。
なぜなら、大切な人だからこそ、それだけの自分の心のエネルギーをかける価値があるから。
本気で聴くことによって、相手が楽になってくれればいいし、私は相手の思いや考え方を知り理解することができる。
それに、全面的に他者受容をすることができる、ということは。
投影の法則から言えば、全面的に自己受容することができるってこと。
相手から腹立たしいことを言われても、それを許し、図星だったらそんな自分も許す。許せなかったら許せない自分を受け容れる。
自己受容ができると、自分自身が楽になる。
そう。全面的他者受容は、一見、忍耐とか下手したら犠牲と見せかけておいて(笑)、実は、自分が楽になるという効果もあるのでした!
(もちろん、先に述べたように、感情エネルギーの解放が起きて、相手が受容されたと感じ取ってくれれば状況が良くなることも多いです。)
前回の記事ともちょっと似ています。
★「自分の求める愛され方以外の愛を受け取るということは、愛するということでもある。」
★YouTubeでもお話しました。