皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
小川正美です。
昨日は、東京駅のステーションホテルでランチとスイーツとお茶の女子会で、先輩女子たちの面白くてためになるお話を楽しみました。
元日に東京駅に行ったのは生まれて初めてなのですが、とっても空気が清浄で、晴れ晴れしくて心地好かったです!おすすめ。
東京駅舎を背に、皇居をまっすぐ見通すと、2022年を祝福したい気持ちになりました。
そして、その夜から今朝にかけて、いつになく母方の身内たちから電話があって、人と人ってどこか繋がってるんだなあ、と感じました。
また、昨日の記事をアップした後、不思議な体験もあったのですが、その話は改めて。
さてさて、まだまだ続く、年末年始自己肯定感爆上げ企画!もはや、自己肯定感アップと関係なくね?という感じですが、三が日まではこれで行きます(笑)
★ちなみにシリーズ①~③はこちら
今日は、例の訴訟(7年前の訴訟の相手方ご本人から昨年12月に私が慰謝料請求訴訟を提起された件)の相手方(男性)について、「私は、なぜ裁判を起こされるというこの状況を必要としたのか?」という観点から向き合ってみた現時点の結果をご報告したいと思います。
先日書いたように、いったんは安心感を感じたものの、私も人間ですし結構女性性が豊かで感情の振れ幅が大きいものですから、ずどーんと落ち込む気持ちが出てきたり、「許せるかー--!ボケー!」と怒りが出てきたり、「なんで私がこんな目に・・・泣」と泣き言を言いたくなったり、他方で、自分を見つめ直す良い機会となり、思いがけず自分を許すことができたり、と、色々な感情が出てきました。
そして、カウンセリングの場で、「相手方の彼は、私のシャドウではないか」というアドバイスを受けました。
シャドウというのは、その名のとおり「影」。
彼=自分、あの相手方は、私が抑圧している何らかの私自身の要素を映し出して見せてくれているのだ、ということです。
分かりやすい例で言うと、自分も本当は有休を使いたいのに繁忙期だからと気を使って休まないでいる時に、同僚がジャンジャン有休使いまくりで旅行に行ったりしていたら、イラっとしますよね。「空気読めよ」って。
これは、同僚がシャドウになっているのです。本当は休みたい自分の気持ちを、「忙しいから休めない」という観念を使って抑圧しているため、それを苦も無く実践している同僚が羨ましい。その同僚の姿は、(大げさですが)生きられなかったもう1人の自分=シャドウなのです。
私の話に戻りますと、
「シャドウ」と聞いて、私は、たぶん、苦虫を嚙み潰したような顔をしたと思います。(-_-メ) ←こういうやつ。
私も、一応カウンセラーを名乗っているので、誰か他の人を投影しているかなとは思っていました。また、彼を許す必要があるだろうと思い、彼と自分が何らかの感情で共鳴し合っている点を探したり、彼の価値や魅力を半ば無理矢理探そうしたりはしました。(プライドの高い私の言い訳)
けれど、自分自身だとは、思わなかった。
認めたくない。
けど・・・認めたくないけど・・・
うん、たぶんシャドウだね
と思いました。
そこで、あの訴訟の相手方と私の共通点を探りました。
性別も、年齢も(相手方はだいぶ年上)、仕事も、育った家庭環境も、表面に現れている性格も、全く違う。
(裁判は公開ですが、個人を特定し得る情報を記載するのは控えさせていただきます。)
でも、よくよく考えてみると、私から見た共通点がありました。あちらがどう思っているかは分かりませんので、あくまで私の見解ということで述べたいと思います。
かなりお恥ずかしい話ですが。引かないでね!
①自分はこんなもんじゃない、世間の自分に対する評価は間違っている、という怒りを持っている。
②親(やその他の人)からの愛情を得られないことを、自分の外側のせいにしている。
③①②の愛情を得たい当人に対して、直接本音でコミュニケーションできず、他人に八つ当たり的にコミュニケーションする。
いやあ、我ながらちっさい!大人気ない。恥ずかしい。いやーん。
日頃言っていることと真逆やんけ!という感じですが、ホント、恥ずかしながら、私にはこういうところがあるんですよねえ。
自信がない・実績がないくせに無駄に自己評価が高いし(①)、評価されない=愛されないと心の中で拗ねたりむくれたりしますし(②③)。
単に、私は、まあまあ器用なので、こうしたドロドロしたところを隠したり、「このくらいなら許されるだろう」「ていうかこの程度の黒さや弱さは見せておいた方がかえって魅力的(めっちゃ計算高い)」と許容範囲だけをつまびらかにして真の黒い部分は隠したりするのが上手なだけです。
この、自分と相手方の共通部分については、年末の29日ころには書き出していたのですが、まあ、はっきり言って受け容れたくなくて(笑)、寝かせていましたね。
寝かせていた間に、10大ニュースを並べて自己肯定感を上げてみたり、1人年末年始の方に思いを馳せてみたり、元カレへの罪悪感を手放したりしていたのです。
あ、念のため、ずっと感情と向きあっていたわけではなくて、紅白見ながら友達とめちゃくちゃ笑えるおしゃべりをしたり、年始のご挨拶の母の友人からの電話で呑めない人に酒の好みを伝えるという難しいおしゃべりをしたり(笑)、上述のようにランチでおしゃべりもしたよ。今日はこの後、zoom飲み会予定。(リア充?アピール)
シャドウと向きあう際は、①相手の嫌な部分が自分にあることを受け容れ認めて、②その嫌な部分を長所、価値、魅力として捉え直す(相手を許し自分を好きになる)、という流れになるのですが、なかなか②に移行できなかったわけです。
でも、昨日、元カレへの罪悪感を手放せたのが大きかったのかもしれません。
そして今日。
寝かせて熟成させた結果、上に述べた私と相手方の共通点について、魅力として捉え直してみました。
①自分はこんなもんじゃない、世間の自分に対する評価は間違っている、という怒りを持っている。
②親(やその他の人)からの愛情を得られないことを、自分の外側のせいにしている。
③①②の愛情を得たい当人に対して、直接本音でコミュニケーションできず、他人に八つ当たり的にコミュニケーションする。
ということは、
→①デフォルトの自己肯定感が高くて、怒りというエネルギッシュな感情を持ち続けられるほどバイタリティに溢れている。
→②愛情を得られないことの原因を自分の外側に求めてしまうほど、罪悪感が強い(自分のせいで愛情を得られないと顕在的に認識すると自分の心が耐えられないほど罪悪感が大きいため他者攻撃に転じている)。そして、罪悪感が強いということはそれだけ愛情も豊かな証拠(そもそも愛情があったから罪悪感を持つ)。
→③当人にコミュニケーションを取ることができないほど恥ずかしがり屋さん、つい強がってしまう寂しがり屋さん。コミュニケーションが無器用。無器用なのは、人一倍愛情があるから、そんな自分が恥ずかしくなってしまっている。
いかがですか。って、皆さまに意見を求めてどうする、って話ですけれども。
私、結構、頑張った。
そして、確かに、相手方をこういう目で見ることは可能だし、
イヤだけど、嫌だけど、ホントーに嫌だけど、
私自身にも、こういう要素はある。
ホントに大切なことを大切な人に直接言うのが苦手。マジで。この癖を直したいと思っています(笑)
そんなこんなで、2022年のお正月は、今日も暮れていくのでした。
個人セッションを申込む
小川正美の個人セッションは、①法律相談、②法律相談+カウンセリング、③カウンセリングのいずれも可能です。どのカテゴリか判別ができなくても、構いません。お気軽にどうぞ。
ご予約方法 ・上記コンタクトフォームから、第1~第3希望日時/対面・オンラインいずれかのご希望をお知らせくださいませ。 ・折り返し、日時と料金のお支払ご案内のお返事をいたします。仮予約が完了いたます。 ・セッション料金(初回:11,000円/60分、2回目以降:22,000円/60分)の着金をもって、本予約が完了いたします。 |