皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
ここのところ、マミコちゃんとのコラボイベント『なんでこの私に彼氏ができないのかしら?』についての告知やその関連でパートナーシップネタが多かったのですが。
※残席1です~!ご興味持っていただけましたらお早めにっ!
今日は、年末年始にがっぷり四つに取り組んだ、この私にかつての相手方が訴訟を提起してきた件(笑)について、また新たに気づきがありましたので、シェアさせて下さいませ。
以前書いた記事は、奴・・・イヤイヤ(笑)、相手方が私のシャドウだ、ということを何とかかんとか受け容れた、という話でした。
①自分はこんなもんじゃない、世間の自分に対する評価は間違っている、という怒りを持っている。
②親(やその他の人)からの愛情を得られないことを、自分の外側のせいにしている。
③①②の愛情を得たい当人に対して、直接本音でコミュニケーションできず、他人に八つ当たり的にコミュニケーションする。
ということは、
→①デフォルトの自己肯定感が高くて、怒りというエネルギッシュな感情を持ち続けられるほどバイタリティに溢れている。
→②愛情を得られないことの原因を自分の外側に求めてしまうほど、罪悪感が強い(自分のせいで愛情を得られないと顕在的に認識すると自分の心が耐えられないほど罪悪感が大きいため他者攻撃に転じている)。そして、罪悪感が強いということはそれだけ愛情も豊かな証拠(そもそも愛情があったから罪悪感を持つ)。
→③当人にコミュニケーションを取ることができないほど恥ずかしがり屋さん、つい強がってしまう寂しがり屋さん。コミュニケーションが無器用。無器用なのは、人一倍愛情があるから、そんな自分が恥ずかしくなってしまっている。
で、もう1つ、「彼は、私だ。」と思ったのは。
私がずっと抑圧してきた依存心を、彼は、攻撃という形で見せてくれている。
ということなのです。
これは、「全然意味が分からん!」という読者様もいらっしゃるかもしれませんが。
心理学の格言で、「攻撃は助けを求める声」というものがあります。私も、モラハラ研究で結構これまでブログに書いてきました。
「攻撃は助けを求める声」とは、他者攻撃をする人の本音は、「助けて欲しい」「分かって欲しい」「愛して欲しい」だということです。
罪悪感や無価値感が強すぎると、
「こんな自分は愛されるはずがない」と思うので、その思い込みに沿った愛されにくい言動をして「ほら、やっぱり愛されない!」とその思い込みを証明したり、
自分を毒である、価値がない、と責め続けているため、その自責の念に耐えきれず、他者攻撃に転じてしまったり(あまりに大きなミスをした時ってすぐに受け容れて謝ることができずに「あいつも悪かった」とか言いたくなりません?そういう心理です)、
一方で、「それでも愛して欲しい」という欲が出てくるため、自分を分かってくれそうな人を本能的に嗅ぎ分けて、攻撃をして、「こんな自分でも愛せる?どうせあんたも分かってくれないんでしょ?」という試し行動に出たりします。
一言で言えば、素直じゃない、拗ねている、めんどくさい(笑)ヤツってことです。
これが度を超すと、モラハラになりますよね。
でね。
訴訟って、民間人同士の合法的なやり方では、究極の攻撃じゃないですか。
相手方がそれを仕掛けてきた、ということはですよ。
彼は、どんなに、私に、「助けて欲しい」「分かって欲しい」「愛して欲しい」と思っているんだ、っていう話ですよ。
もちろん、モラハラ研究家の名をほしいままにしてきた私(いや、ウソです、自称です)ですから、彼が愛を求めていることは分かっていました。何しろ、7年近くも悩まされましたからね。
でも、私は、もちろん、「そんなもんあげるかー--!あげてたまるか!もったいない!!」と思っていました。
だって、私のクライアントさんじゃないし、何なら相手方だし、友達になりたいとかそういうタイプでは全くないし。
好きな人だったら多少の攻撃は許せても、マイナスの利害関係しかない人相手に、なぜこの私が愛情を注がなきゃならんのですか。私クリスチャンじゃないし(汝の敵を愛せよ、ね)。
と思っていました。
いや、正直、今でも、自分の被害者意識を捨てて、彼と自分を許すのが精いっぱいだと思っています。
ただ。
彼が私、だとしたら。
こんなにも激しい攻撃をして愛情を求めている、ある意味、究極の依存心を、「私が」隠し持っている、ということなのです。
そういう観点で振り返ってみたら、たくさんの気持ちが出てきました。
荷の重い案件でボスに助けて欲しかった、新人や若手のころ同業の先輩や裁判所がとても怖かった、ミスしたら嫌われたら生きていけない気がした、それが怖くてものすごく他人軸になってしまった、もっともっと自由になりたかった、助けてって言ってはいけない気がした、自分のことで精いっぱいでクライアントさんに十分なことができなかった、
誰か、私を助けてよ。
誰か、こんなに頑張っている私を認めてよ。理解してよ。
誰か、私を愛してよ。
どうせ誰も分かってくれないんでしょう。
・・・そんな思い。
私は、自分の心を見つめて、傷を癒してきた過程で、両親や弟や親族からも、元夫からも元カレたちからも、友人や仲間たちからも、クライアントさんたちからも、仕事の関係者たちからも、本当は十分に愛されていたし、今も愛されていることを知りました。
人との繋がりが切れそうになったこともありましたし、現に繋がりが切れたり疎遠になったこともたくさんあります。
でも、「今の自分」が本当に望んでいることを自分の心に何度も何度も問いかけて、
人のためとか、あの人こうして欲しいんじゃないかとか、こうしたらあの人かわいそうかもとか、こうした方が喜ぶんだろうなとか、そうした思いを排して、
私が私との繋がりだけは切れないように、
そうやって、生き延びてきた。
私が私を一番に愛する、そうしたら、
本当は十分に愛されていたし、今も愛されていることを知りました。
それでも、こうして、まだ蓋をして見ないようにしていた依存心があるんですよね。
たぶん、相手方の彼にも、色々な人々から、愛情の手は差し伸べられてきたし、今も差し伸べられているんだと思うのです。
でも、どこか、愛情の欠乏感があるのかもしれません。
もしかしたら、幼い頃から抱いていたのかもしれませんが、私には知る由もありません。
ただ、「愛されたい」という依存心は、悪いものじゃないと思うのです。そんなに嫌わなくてもいいと思うのです。
確かに、表面の言動として誰かに依存心が向けられると、相手にとっても自分にとっても、重たくて苦しくてめんどくさいものになります。
でも、やっぱり、「愛されたい」って、人間の根源的な欲求の1つだし、何より、「愛されたい」って、本当の本当は、「愛を循環させたい」、つまり「愛したい」ってことでもあるから。
だから、全ての人間は、愛するために生まれてきたんだなあ。と思うのです。
だから、隠し持っていたとしても、いいじゃん。
そんなに隠さなくても大丈夫。
だって、結局は愛なんだから。
とも思うのです。

1月29日の土曜日、集いませんか?
★こんなことをします
・事前課題があります。(①この私の魅力、 ②見る目のなかった男を成仏させようか、 ③私に相応しい理想のパートナー、 ④私が譲れないもの)
・当日は、「運命の出逢いは何度あってもいい」というお話のほか、主に事前課題のシェアをします。ご自分の魅力をたっぷり自慢して下さい!主催2人もシェアします♪
・①~④をシェアしたのち、自分でも気づいていない魅力をお互いに教え合い、予祝する(理想のパートナーとラブラブな様子をイメージしてニヤニヤ)。
★こんな方に
○自己肯定感が上がってきたけど恋愛はごぶさた
○外見も中身も自分なりに磨いていて今の自分が好き
○恋愛はないけれど概ね毎日楽しい
○理想は高いけど仕方ないよね、だって私だし。と思っている
○男の人からチヤホヤされるのは得意
○おじさんキラーである
○年下もいい
○同年代もいい
○とはいえ、結構小心者
○案外モジモジーヌだよね
○最近ナンパされた
○過去の恋愛・結婚の傷はまだあるかもしれないなあ
○実は自信があるところを謙遜しないでぶっちゃけトークしたい
○笑いながら自己肯定感を更に高めたい
○マミコちゃんや小川正美と話したい方
○動物好きな方(犬や猫が画面に登場するかもしれません)
★開催要領
・日時 2022年1月29日(土)13:00~15:30
・場所 各自のパソコン・スマホの前 (zoomを使用します)
・参加費 5500円(消費税込み)
・定員 4名様(残席1名)
★お申込みは
1月6日(木)21:00~ お申込みサイトから!