皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
小川正美です。
この世は全て自分の内側の投影で、世界を自分が創っているとするならば、
どんな自分もとことん受容できていると、たとえ客観的に見て多くの人が不幸せだと思うような世界だとしても、自分は幸せを感じることができるんですよね。
幸せに生きたかったら、自己受容、自己肯定が本当に大切。
ちなみに、今日は、こんなつぶやきをしました(笑)
今朝、ふと6年ほど前の超絶ロックマン(会社員)に「偉そうに」と言われて、めちゃめちゃ腹が立った&弁護士になった私が悪いと自分責めしまくった黒歴史を思い出した。
えー、だってしょうがないじゃん!偉いんだから💖
私のそういうとこが好きだったくせに😆😆と思える今の私が好きだ。#黒歴史
— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) November 24, 2021
※ロックマンとは、超自立男性で怒り以外の感情をほぼほぼ抑圧している岩のような性格の人のことです。
この頃の私は、かつてのように恋愛がうまく始まらなくなったのは弁護士になったから&年を取ったからだ、と信じていました。
まあ、それもあったかもしれないけど、根底のところは、そうやって「女性弁護士はモテない」とか「年齢を重ねたら女性はモテない」とか自分以外の誰かが創ったルールを採用して、自分を責めて嫌って自信を失くしていたからなんですよねえ。
自分を嫌って自信を失くしていると、その内側を投影して、潜在意識の仕業でなぜか自分の自信を失くすようなことを「人に言わせちゃう」んです。更に自分の自信を失くすために。こわっ。
もちろん、往々にして、人を傷つけるようなことを言ってしまう側も、自分に対して言っていたり自分を責めるために言っていたりするんですけれどね。その人もその人の世界を創っている、つまり上の彼であれば、彼自身も私に「偉そう」と言って「罪悪感を抱くという結果を望んでいる」のです。無意識にせよ。
そんな罪悪感と無価値感コンビが引き合って、潜在意識で合意して、こういうやり取りが生まれるんですよね。
だから、抜け出すコツとしては、自分が無価値感を感じないこと。つまり、自己肯定感を上げて、自信をつけること。
そうすると、偉そう、と言われようが、「そうなんだよねえ。偉いからしょうがないじゃん。」と思えるようになる。
何なら、偉そうな自分を好きになれる。
(ちなみに、上の「しょうがないじゃん!偉いんだから。私のそういうとこが好きだったくせに。」というセリフは、自己肯定、かつ、「あなた、そんなに器の小さい男じゃないでしょ♪」という信頼でもあるのです。・・・私が負けず嫌いなのもあるけど。笑)
まあ、モラハラ研究家の私ですから、「偉そうに」なんて可愛いもので、もっと傷つくようなことを結構言われています。そして、未だに許せていないというか傷つき続けている(根に持っているとも言う、笑)言葉もあります(笑)
しょうがないよねえ。聖人君子じゃないんだから。人間だもの。
あ。恨みつらみがあることを書きたくて(笑)、話が脱線した。
自己肯定に話を戻すと、「どんな自分も受け容れる」ってやっぱり難しいところも多いのです。
自分が嫌いな自分や存在自体否定したくなるような感情(それこそ恨みつらみとかw)を受け容れるってことですから。
私の場合、自分の弱さも受け容れられなかったのはもちろんですが、強さも受け容れ難かったのです。
気が弱い、人がいい、舐められがち、付け込まれる、押し込まれる、等々の私の要素は、弁護士としてはあまりよろしくありません。昔の私は、弁護士としてダメ=無能、役立たず、生きていけない、と思っていましたから(他の職業の選択肢もないと思っていたし)、とにかくこうした自分の弱さを嫌っていました。
他方で、弁護士という職業に伴う強さのイメージ、すなわち、最難関資格を持っていて頭がいい、切れ者、弁が立つ、負けず嫌い、理論的、理屈っぽくて細かい、稼いでそう、等の要素も、私は嫌っていました。女性としてモテない、損をする、と思っていたからです。(しかもあくまでイメージで実際の私とは違うし)
つまり、私の中の弁護士に象徴される男性性と、本来の女性性が、お互いに攻撃し合っていて、男性性は弱い私を嫌い、女性性は強い私を嫌う、という、どちらにしても自分が嫌い!という何ともまあ大変な状態でありました。
自分の中で戦争が起きていたから、外に激しい戦争(訴訟)が多発していたのかもしれませんね。
今は、昔に比べたらかなり平和です(笑)
私は、仕事は男性性優位で行っていて、本来の自分の女性性が抑圧されて悲鳴を上げていたので、女性性の解放を試みました。
そうしたら、いっとき、女性性に振り切って恋愛に没入して、仕事にやる気がないというか頑張れない時期がありました。2、3年前のことです。
その後、これはヤバいと思い、仕事でも女性性を使うことを意識し出して、本来の女性性も男性性も両方ある自分で仕事をするようになったら、楽になり、かつ、仕事を好きになりました。
これまでの男性性一辺倒の殺伐とした自分への嫌悪感から女性性を増やしたため平和主義になりましたが、ここ最近は、たまには戦いもいいなあ・・・とアドレナリンが出る自分を面白がっています。自分の男性性への嫌悪感が減ってきたんだろうなあ。
男性性は、女性性を守りたい、役に立ちたい、世界をより良いものにしたいんですよね。
女性性は、男性性にお願いしたい、感謝したい、癒したい、育みたい。
これらの要素は、男女問わず、比率は人それぞれですが、誰にでもあるものです。
そして、男性性も女性性も自己嫌悪によって疲弊してしまうと、拗ねてしまって、攻撃性・破壊性が出てきてしまう。他者攻撃か自己攻撃かの違いはあれど。
逆に、男性性と女性性が自分の中でパートナーシップを築いているならば、お互いに受け容れ合って愛情エネルギーが循環しているので、疲弊せず、どんどん愛情を外側の世界に広げていく(その形は人それぞれ)ことができるのです。
男性性と女性性が自分の中でパートナーシップを築くには、やはり、どんな自分も受け容れること。
弱さや強さだけじゃなく、冷酷さ、狡猾さ、残酷さ、身勝手さ、高慢さ・・・といった、本当に人としてどうよ?という感情も、「それも自分。」なのですよね。
受け容れちゃったらさ。
「だって、偉いんだから、仕方ないじゃーん」とか、「私は勝ちたい。勝つ」とか、
と、のうのうと言えるようになります(笑)
ラクです。理不尽だろうがなんだろうが、それがホントの自分だから!
(そういえば、若かりし頃は何か褒められると「だって私だもん。」「さすが私。」ってよく言ってたな(笑))
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