皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
先日来、気づき(インスピレーション)がドドドドドドドドドーーーッと押し寄せている私です。いや、マジで、瞑想オススメよ(急に馴れ馴れしい)。特に朝ね。寝ている間に記憶や感情が整理されていて、その日の新しい情報もまだ入ってきておらずクリアな状態なので、インスピレーションが降りてきやすい。
そして、今日も、先日からの気づきに関連していくつか後日譚的に気づいたことがありますので、ご紹介したいと思います。
その前に先日来の気づきのまとめ。
★気づきその①
元カレに酷い扱いをさせていたのは私(そういう扱いをさせるほど自己肯定感が低かった)。
ただ、そういう酷さの中にも、彼は彼で罪悪感満載でツラかったんだ、という愛を見ていたこと。
★気づきその②
両親への喪失感、甘えたい依存心、罪悪感は、私が両親を結び付けてこの世に生まれてきたというイメージを心に描くことで、かなり消えた。両親は両親で勝手に幸せになっているから大丈夫、という安心した感覚を得た。
★今日の気づき(気づきその③)
両親との心の距離が少し遠くなって感じたのは、実は、私が両親を手放したくなかったんだなあ、ということ。
両親を手放してしまったら、私は本当に孤独になってしまうんじゃないかというおそれがあったんだと思う。
実際に手放してみたら、両親は両親で勝手にあちらの世界で仲良く幸せにしているわ、でも、私のことを愛していないわけでは全くなく、むしろ愛してくれてるな、という感覚を得ることができた。それは、寂しさとは違う、ほんのり心が温まる感じ。
心の距離は離れたのに、従前よりも孤独感を感じなくなったのだ。
★今日の気づき(気づきその④)
ただ、自分の隣に人がいないことへの違和感を感じた。
今住んでいる2LDKの部屋を、「1人で住むには広すぎる」と感じた。これまでは、狭いとすら思っていたのに!こんなことは初めてだ。
最近の私はポジティブ星人なので、この感覚の変化の理由については、従前の私は心のど真ん中に亡くなった両親がどっかりと鎮座していたゆえにその心象風景を現実世界に投影して広い部屋を必要としていたけれど、今は両親が私の心に占めるスペースが減ったので、2LDKは広過ぎる、と感じたからだ、と分析している。
一言で言えば、私の隣にパートナーがいないことに違和感があるってこと。なるほど、そうかそうか。心にスペースができたのね。良い傾向だわ(ポジティブ発揮)。
★今日の気づき(気づきその⑤)
先日、元カレと付き合っていたころ、
>私は必要とされているのかも、と思っていた。そんなことを言われたことは一度もないけれども。
と書いた。
今日になって思い出したのだけれど、「一度も言われたことはない」というのは、誤りだった。ごめんなさい!
何回か、必要だというニュアンスのことを言われていたのよ。「生きるエネルギーを貰っている」とか、そういう類のことを(てへ)。ホント、人間て自分がショックを受けた、傷ついたって言葉はよく覚えている癖に嬉しい言葉は意外と忘れちゃうものだよねえ。
・・・ええ、「人間て」と抽象化して自分個人の問題とすることを回避しました(笑)人間だもの。
いやあ、ホントに失礼しました。そして、ありがとうございます(元カレへ)。
それでさらに思い出したのだけれど、私が元カレに対してたくさん怒っていたことのうち、最大の怒りの1つ(←英語表現風)は、「私が渡した愛情のエネルギーを私に返さずに他の女に使うな!」ってことだった。
もちろん、元カレは愛情を私にも返してくれた。全く愛の循環がなくて枯渇していたとしたら、3年も続かなかった。もともと愛情豊かな人だと思うし。
ただ、私の主観として、その当時の私は、愛情の搾取をされているような気がしていたのだ。特に最初のころは、彼はファーストの彼女よりも私とたくさん会っていたにもかかわらず、私1人を選ぶことはできない、と言って、その度に私は、目の前の自分の感覚(その時点での彼と会っている時に感じる親密な感じ)と彼の言葉とのギャップに失望していたので。
そこを自分の感覚を信じ切って、「またまた~。ホントは私のことが好きなのに。照れ屋さんなんだから♪」と余裕綽々でいられるほど、当時の私は、まだ自分に自信がなかった。
それゆえ、「私が渡した愛情のエネルギーを私に返さずに他の女に使うな!」という怒りに繋がったのだ。
この「搾取された感」の怒りは、彼にも当然何度もぶつけたし(笑)、怒りだけではなくなぜ悲しいのかを滾々と伝えたりもしたけれど、消えることがなく、彼と別れた後にも残っていた。
だから、今年の1月以降も、モヤモヤとし続けていたのだ。
このモヤモヤ。
それは、「なんで私がこんな目に遭わなきゃならないの!」という、被害者意識だ、と先日は述べた。
これをもっと分解してみると(余談ですが、言語化できないモヤモヤを分解して言語化するだけでもかかなりスッキリします。きっと、「自分が自分を理解してあげた」=自分に優しくしてあげた、からですね。)、
「私が渡した愛情のエネルギーを私に返さずに他の女に使うな!」という怒り、搾取された感による惨めさ、悲しさ、自分の愛には価値がないという無価値感、そして私には彼を助けられないという罪悪感、等なのだと思う。
でね。
この被害者意識って、とっても厄介なの。
弁護士の仕事をしていると、裁判所の手続をクライアントさんに有利に運ぶために「被害者になって下さい」なんてお願いすることもある。例えば、離婚案件では相手方が手を挙げたらすぐに病院に行って診断書を貰ってきて、なんてことを言う。たとえ、それまで相手方がクライアントさんに手を挙げたことが一度もなかったとしても、DVの烙印を押すことができるから。
このように、被害者は、被害者でいることのメリットがある。
裁判においてのみならず、被害者で居続けることによって、加害者を常に攻撃することができる。周りから同情を貰える。自分が正義で加害者は悪、という立ち位置にいることができる。
これって、加害者を攻撃して罪悪感を抱かせる、という意味では、被害者が加害者になっているのだ。法的ではなく、心理的にはね。
意味が通じるかしら?心理学系の知識がある方はご理解いただけると思うけれど、弁護士のブログでこんなことを言うと、びっくりされる方も多いのでは、と思う。
話を戻すと、被害者で居続けるメリットに安住してしまうと、常に加害者を必要とする自分になってしまう、つまり、平和で安全で自由で対等な居心地の良い人間関係を築くことが難しくなってしまう。
そして、実は、人を責めている時は、心の深層では、自分も自分自身を責めている。
だから、心理的には、相手を許し、自分を許しましょう、という話になる。
(もちろん、天災や無過失の事件・事故の被害等、相手を許すことが非常に困難な例も多くあるので、全ての人が相手を許すべきだ、と言っているのではありません。実感としては、許すのが「正しい」のではなく、「許した方が自分も楽」という感じです。)
とはいえ、頭では分かっていても、なかなか許すことなんてできない。人間だもの。(今日2回目)
別れた後にもモヤモヤが残るくらいに。
でも、今日、気が付いた、というか腑に落ちて納得したのだ。
「私が、自分の全てを使って彼を愛した。彼は、それを受け取って、その愛情エネルギーの一部を、私以外の誰かを愛するエネルギー源にしていた。」
「それで、いいじゃん。そんなにも、私は、愛したかったんだから。」
そう。「私が」それをしたかったの。
私は、被害者ではないのだ。
愛させてくれてありがとう、ということなのだ。
それは、彼を見上げて、自分を低い位置に置くことではない。
むしろ、被害者でいることの方が、自分を低い位置に置いているのだ。「私の愛は価値がないから、あなたは搾取して他の女に渡したんでしょ!」って決めつけて、拗ねているのだ。
自慢話になるが(笑)、事実として、私と付き合い始めた後、彼は、仕事が上手く回り出したし、かっこよくなった。もちろん、彼自身の才能や努力や実績あってのことだけれども。
このことから、彼や人が何をどう言おうと、私の愛は彼の心に届いていたということが分かる。私は、もっともっとその恩恵を受け取って、自分の自信に変えれば良かったのだ。
そう気が付いたら、あの長年のモヤモヤした怒りは消えた。
私は、被害者ではない。
私の愛には、価値がある。
ただ、彼とはうまくいくタイミングではなかった、それだけのことなのだ。
★最後に
とはいえ、自分が犠牲になるような恋愛・結婚はしない方が良いです。私は、自分の恋愛が自己犠牲だったとは思っていませんが、そう思えるようになるまでに数年を要しました。
特に、DV、モラハラを受けている方。ご自分の状態を自己判断せず、第三者に客観視してもらい、助けて貰って下さいね。
そして、もちろん、あなたは、謂われなき言いがかりや八つ当たりを受けて良い人ではありません。
私は、今日のこの気づき⑤の後、心から愛がダダ洩れになっていてマザーテレサモードになっていたせいか、ランチをとろうとした飲食店で意味なく攻撃的な接客を受けました。最近そういうことがなかったので、めちゃめちゃびっくりしたわ!
今は飲食店も大変だからね・・・と、一瞬、優しさという名の犠牲・我慢をしそうになりましたが、即座に「イヤイヤ、自分を大切に!」と思い直し、オーダーをキャンセルして違う店で食べました。
イヤなものはイヤで良いのです。
まずは、自分を幸せにしましょうね。