皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
今日の未明は、しし座の満月でした。
満月は、月が満ちるタイミングでもありますが、ここから新月に向かい月が消えていくタイミングでもありますので、手放しの象徴とも言われていますね。
(ちなみに、新月は真っ暗な状態から月が徐々に満ちていくので、心機一転とか願い事のタイミングと言われています。)

ところで、私個人的には、表題のとおり「自分の内側で私を私が攻撃していたから、外側の世界でも私が攻撃されていた。」ということに気が付いてから、随分と長い時間が経ったように感じています。
が、よくよく考えてみたら、例の訴訟の相手方がシャドウであると認識してからまだ2か月も経っていないのです。えええええ~!
最近時間の経過感覚がおかしい(笑)、と、身近な人々同士で言っていますが、この件もまさにそう。
※例の訴訟とは、7年前の訴訟の相手方ご本人から昨年12月に私が慰謝料請求訴訟を提起された件で、私は、昨年12月来、この相手方原告(男性)について、「私は、なぜ裁判を起こされるというこの状況を必要としたのか?」という観点から向き合っているのです。
で、私が私を攻撃していたことについては、例の訴訟の件が起きるずっと起きる前から気が付いていて、それこそ子ども時代からの強い自己嫌悪・自己否定を、ここ5年ほどかけて徐々に徐々に自己受容・自己肯定をして、緩めてきました。
どんな自分も居ていい。
どんな自分でもOK。
どんな自分でも、私は私の味方。
文字にするとたったこれだけのことなのに、実践するのは本当に難しいんですよねえ。
ついつい自分にダメ出ししちゃいますし、ほんの小さなことでも気遣いが足りなかったかな、出しゃばり過ぎたかな、空気を読めなかったかな、等の罪悪感を持っちゃいましたし(今でも持つことはたくさんあります)、自分の力が足りない、魅力が足りない、と無価値感を持っちゃいます。
そういう感情を引き起こす私の中のたくさんの「こうあるべき・こうせねば」といった観念(思い込み、ビリーフ)を手放して、自由で幸せでいいんだと自分に言い聞かせて、
時にその観念を作り出した心の傷を見つめ、癒し、
人のためとか体裁のためではない自分の本音を掘り下げて掘り下げて、自分は何がしたいのか、どう思っているのかを私自身に問い続け、本音に従って行動し、
本当はイヤだったけれど我慢して頑張って努力したことの価値も受け容れつつ、
そうしてやっと、本当の自分をだいぶ取り戻してきたかな、と思っています。
こんな風に。
でも、まだどこかでぬぐい切れない罪悪感がありました。私は幸せになってはいけないような。
そのうちの1つが、先日出てきました。
②
昔に比べれば格段に自己肯定感は上がったので自己嫌悪・自己攻撃しなくなったんだけど、掘ってみたらまだあったわ。
深いところと日常の些細な(と思っている)罪悪感。
前者は、母が死ぬ直前に病院で寝泊まりしなかったこと。
母を孤独にした私は1人であるべき、という観念を作った。続く
— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) February 14, 2022
以前の記事でも少し触れたのですが、
母が亡くなる直前に、彼女の迎えている死の恐怖に、寄りそうことができなかったこと。
私自身の恐怖に負けたこと。
それまで、母にたくさんの愛情を注いでもらい、その恩返しにとできる限り支え続けたにもかかわらず。
最期の最期に、私はこれか。
また、私は、こうだ。私は、いつもこうだ。
自分のことばかり優先して、肝心な時に大切な人を救うことができない。
大切な人を、大切にすることができない。
そうやって、自分を責めました。
そして、
別の局面、主にパートナーシップにおいて、
あなたは、大切な人を、大切にすることができない。そんな人は私はイヤだ。
と、人を責めました。
本当は、大切にされていたにもかかわらず。
自分が自分を「私は大切な人を大切にできない。」攻撃しているから、それを投影して、人が自分を攻撃しているように感じていたのです。
母の話に戻ると、
実際、私は、怖かったのです。
死の匂いのする薄暗い(ように当時の私には見えた)病室で、母がどんどん弱っていき、肉体的のみならずついには精神的な意思疎通も困難になっていったこと。
「(母が)毎晩夜中に泣き叫んでいる」「病室に泊ってもいいんですよ」と看護師さんから聞いて、母の死が近いことを知って、母がどんなに不安で怖いのか、想像がついてしまったこと。
でも、私も、母が死ぬのが怖くて、どう考えてももう奇跡は起きない状況だと分かっていて、奇跡を祈ることすらもできず、自分の目の前の勉強というタスクに、もしかしたら私は逃げているのか、いや、母もこれを望んでいるはずだ、と思いながら向きあったこと。
子どもの頃に母から「あんたは優しくない」と言われたことを思い出し、やっぱり私は優しくない、肝心な時に人を見捨てる人間なんだ、だから父も死んだし、離婚することになったんだ、と思ったこと。
そんな状況でも、京都から見舞いに来てくれた母の親友のお土産の果物のお菓子は、美しく見え、美味しかったこと。
私がロースクールのことで泣き言を漏らしたら、モルヒネを多量投与され朦朧とした意識の中で、母の眼に光が宿り、意識が清明になり、「大丈夫?」と私のことを心配したこと。
色んなことが、怖くて、怖くて、
現実は非常に予想どおりに進んで行って。
母は死んだ。
そして、今にして分かったのですが、この時、私は、
「最期の最期に母を1人ぼっちにした私は、ずっと1人でいるべき」という観念を創ったようです。たぶん。
また、「母を助けられなかった私が人を助けられるはずがない」という観念も創り上げ、弁護士としての無価値感のベースになったのかな、と思います。
とはいえ、これらの観念も、ずいぶんと癒されてきたように思うのです。
だって、確かに、私は、母の最期に寄り添う強さがなかったけれども、一方で、子ども時代から長い間、母に寄り添ってきたのです。
その私が、母の最期の弱かった私を、もう許してあげられる気がしたから。
きっと、私はもう十分に母を愛してきたし、それだけで十分だ、と思うから。
長々連投したけど、言いたいことをまとめると、
助けなくていい、愛するだけでいい。
そして、十分愛してきたし、愛している。
そんなベストを尽くした自分を認めて赦してあげよう。そうしたらきっと、周りから贈られてきた愛に気がつく。
ありがとう💖
ってなるよね。
— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) February 14, 2022
私の内側の世界で私を攻撃することは減った。
だからきっと、これからは、外側の世界でも、攻撃は少なくなる。
私が攻撃されることだけではなく、私が攻撃することも減っていくはずだ、と思っているのです。
そうなったらいいね!