皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
小川正美です。
昨日の自分10大ニュース記事がなかなかのご好評をいただきました。「やってみる!」という方もおられて、私も嬉しいです!
そして、私自身、振り返りの記事を書きながら、本当に私に関わって下さった皆さんに対して感謝が湧いてきて、暖かい気持ちになったのです。
私は、母を亡くしてから16年、たぶん10回くらいは1人年末年始を過ごしております。
正直に言うと、最初のうちは、自分で言うのもなんですけれど本当によく私生きていたなと思うくらい、闇落ちしていました。
何も動けない、ひたすら眠る、という年もありましたし、頑張って大掃除をして軽いおせちを作ってお雑煮も作ってテレビをひたすら観てこれまで家族(元夫やその家族も含む)と過ごしていたお正月と同じように過ごしてみたけど虚しさを覚える年もありましたし、自分の内側にひたすら深く潜って過去の感情を見る年もありました。
いずれの年にも共通していたのは、「私、寂しい」という孤独感。
「なんで私がこんな目に」という呪詛。
恋人がいた時には彼が私と一緒に過ごさないことに苛立ちましたし(不倫ではないけど、年末年始は別にいいじゃん、的扱いだったり、向こうが他の人と一緒だったり(笑))、弟家族に対しても「フォローくらいしろよ」と思っていましたし、何なら一緒に過ごしてくれた友人たちにも「もっと優しくしてよ」と思っていました。
依存心ってやつですね。ああ、嫌だ。でも、嫌だけど、あったのよ。
(今もゼロではない、っていうか依存心がなくなったら、それはそれで人を頼れなくなるからヤバい。)
でもですね。
今年1年自分が頑張ってきたこと、ラッキーだったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと。
ツラかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、自分を責めたこと。
何だか幼稚園の卒園式の歌みたいですが(「嬉しかったこーとー♪」の歌、笑)、そんな様々な経験を思い出していたら、自分の心と身体に、「ありがとう」と感謝の気持ちが湧いてきたのです。
もちろん、一緒に体験してくれた皆さまにも。
そうしたら、あの絶望の暗い淵をのぞき込むような、背中を引き摺るような孤独感が消えたのです。
年末年始っていいな、こうやって感謝して新しい年を迎えるって幸せだな、と久しぶりに心から感じたのです。
そして、かつての私と同様に、孤独を抱えて年末年始を迎える人達にメッセージを送りたくなりました。
年末年始は、最も自殺率が高いからです。
色んな事情で1人年末年始の方へ。
1人年末年始のプロ(16年前母が亡くなってから10回は1人かな)の私から。
寂しい気持ち、呪詛を吐く気持ち、すっごく分かります。
孤独な年末年始。その時間を頑張ってきた自分や周りの人に感謝することに使ってみませんか。
あなたの心が温かくなりますように。— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) December 31, 2021
もし良かったら、拡散して頂くか、同じようなメッセージを発信して頂けたら嬉しいです。
1人ではなくても、今年は本当にみんな頑張ってきたと思うのですよ。
さてさて、そんな私の前置きでしたが(長っ)、今年私が成長できた点について書きたいと思います。
1.過去の離婚・恋愛への手放しが進んだ
先日の記事でも書きましたが、「うえー、まだ元夫(元カレ)を気にしてるのかあ・・・」と自分にうんざりしながらも、未消化な感情(やそのルーツとなった感情)を感じ続け、解放し続け、愛されていたことを受け取れるようになりました。
「全て必然だった」という思いと、私と出逢ってくれて、愛させてくれて、愛してくれて(あ、片思いの場合でも「人として」愛してくれてたことがほとんどかな)、ありがとう、という思いでいっぱいになりました。
ていうか、私の好きになった男はみんないい男ばっかりだよね。ていうか、どんどんいい男を選ぶようになっていってるよね。さすが私。見る目あるわあ。
と思えるほど(笑)、回復してきました。
あっ、若い時に付き合った元カレも、久々に会ったら相変わらずイケメンで居続けてくれていたよ!(謎フォロー(笑)でもイケメンだしいい男になってたのもホント)
かつてのパートナーを否定することは自分を否定することでもありますものね。それはとてもツラいのです。もちろん、悲しい目に遭った当時は「あんな人最低!」と思ってしまうのも仕方がないのですが。
みんな~、ありがとう!大好き!って思えると、幸せだよね。(もちろん、思えないからって焦らなくていい)
2.気持ちや主義主張は一貫していなくてもいいと許可できたこと
上の恋愛ネタにも絡んでくるのですが。
今年になって初めて気が付いたのですが、私は、長い間、「言ったことは守るべき」「主義主張は変えてはいけない」という観念(思い込み、マイルール)を持っていました。
この観念は、弁護士の仕事を始めてからより強化されたかもしれません。契約したことは守らねばならない!の世界ですからね。
例えば、
元夫に対しては「結婚したいって言ったのはそっちなんだからこの問題の解決はあなたが主導するべき」と思っていましたし、
大人あるあるの陰で人の悪口を言っているのに表面上仲良く話したりすることに著しい嫌悪感を抱いていましたし、
母に対しては「パパが生きていた専業主婦時代より仕事している今が楽しいの?どういうこと?パパを否定してるの?」と心の奥底で責めていました。
もちろん、
プロポーズに応じたのは私なんだから元夫とは対等だし、問題に気が付いた方から先にリーダーシップを取って対処するのがパートナーシップですし、
私だって悪口を言いたくなることはありますし好き嫌いもあるのにそれを抑圧しているからイライラも溜まるし、陰口を言う人のことを嫌悪してしまうのだし、
母が仕事が好きで才能があったからといって専業主婦を否定しているわけではなく(まあ、母も若かった時には今の自分を肯定したくてそういう趣旨の発言をしていましたが)、まして生前の父と過ごしていた日々を否定しているわけでもなく、単に私の中で「母の専業主婦時代」と「父のいる生活」がくっついてしまっていて、それを同時に評価して、母を責めていただけです。
この、観念を使って外側を責める癖。
外側の世界は内側の世界の投影ですから、同時に、自分のことも、観念を使って、責めていたんですよね。
例えば、
好きになったら心変わりしてはいけない(だから私は原則自分から別れ話をしない。したのは離婚の時だけ)、だから
パートナーと別れた自分を責め続ける、
人を嫌いだと思ったらその人と再度仲良くしてはいけない、だから仲直りしたいと思っても自分からなかなか手を伸ばせない、そんな自分を器量の狭い人間だと責める、
母に対して再婚しないで欲しいと願い続け(気持ちは一貫しなければならないと思っていたから)、母の幸せより自分のエゴを優先させるそんな自分を嫌い、かつ、自分に対しても再婚を禁止し続けた。
気持ちや主義主張は一貫しなければならない、という観念が出来上がった理由は、様々あるのですが、大きなものとしては、10歳の時に父が亡くなり、その悲しみを感情的に上手く受け容れることができず「父は私や家族を愛していなかったんじゃないか。だから死んだ。愛していたなら生きていたはず。父は嘘つきだ。」と思い込んだことや、小学校の時に同級生女子グループから大した理由もなく突然無視されたことで、幼かった私の心が深く傷つき、
愛してるなら生き続けるべき→気持ちは一貫するべき、友達であるならばその態度を維持継続させるべき→気持ちは一貫するべき、
という観念を産み出したのだと思っています。
それだけ、私が、人のことを愛していたから、人の気持ちに振り回されたんですよね。
他人軸だったかもしれないけれど、10歳の子どもが自分軸をそこまで持てないのも仕方がないですよねえ。
このことに気が付いたのは、私にとっては本当に大きくて、「人の気持ちは変わるし、自分の気持ちも変わっていい」という許可ができたことで、ぎゅっと握りしめていた人や自分を責める気持ちがずいぶんと柔らかくなりました。
おかげで、1.で述べた過去の結婚や恋愛を肯定することもできました。
悪口を過度に嫌悪する優等生癖も緩やかになり、人のことを「ムカつく」と思う自分を素直に許せるようになりました。そうすると、不思議と、ムカつくのは一瞬だったり短期間で済んだりして、またその人の良いところを見ると嫌いじゃなくなったりするんですよね。
自分の気持ちが変わることも許せるようになったので、お誘い等に対して、気が乗らない時にはそのように伝えることができるようになりました。
人の気持ちが変わるということは人が自分から離れること、という悲しい観念も付随してあったのですが、変わることを受け容れると、逆に人が自分に近づくこともあるんだ、とフラットに受け容れることができるようになりました。
今、ここの自分の気持ちに素直になること。それが一番大切ですよね。
3.自分の女性性も好きになったこと
私が自分の女性性を、社会においては一部(快活だったり、コミュニケーションを円滑にしたり)しか役に立たないものとして、強すぎる母性やしとやかさやゆったり感やじっとりと湿った感じは嫌われる、と思い込んで外に出さないようにしていたことは、先日の記事でも書きました。
まあ、隠しきれなくてこうしてブログで吐露しているわけですが!(笑)
これは、まだ歩みの途中感が強いので、ここまでにしますけれど、最近の私は、自分の女性性の陰的な要素も好きになってきました。
静か、ゆったり、包み込む、育む・・・。
女性性の強さは、柳のような強さである、とよく例えられます。
今もついつい仕事で一刀両断してしまう時もある私ですが、自分の中に、凛とした、柳のようなしなやかな強さを見出して育てていきたいなあと思っています。
4.助けて欲しいと言う勇気を身につけた
やっぱり、これも大きいなあ。
私は、助けて欲しいと言えなかったのですよ。正確に言うと、今でも上手く言えません。相手に負担がないであろう範囲をあらかじめ自分で(勝手に)見積もり、その範囲内でしか、お願いできません。心理的には、超自立ですね。
だって、みんな忙しいし、それぞれ仕事や家庭や色々あるし、そもそも今回のトラブルなんて懲戒請求の時に元ボスを代理人にしてもへこたれなかった(笑)相手方だし、いったい誰に何を頼ればよいのだろう?と思ったのです。
でも、仕事じゃないんだから(あ、仕事としてカウンセリングをお願いしたりもしましたが)、人の役割分担なんて、弱っている私が計算しなくてもいいんですよね。しんどいんだから、「この球ならこの人受け止めてくれるだろう」なんてちまちま測定しなくてもいいのです。
ただ、しんどい、助けて。応援して。と言えばいい。
それがなかなか言えないのは、私の助けて(=依存心)は重すぎる、迷惑だ、嫌われる、という、過去の(主に恋愛の)痛い経験に基づく思い込みが強いから。
一番、自分の依存心を嫌っていたのは私自身なのだけれども。
でも、依存心は全員持っているのです。
どんなに大人になったって。人間一人じゃあ生きていけない。
それに、一人でできることなんて本当にわずかで、それが2人、3人となると、単純な倍数ではなくて相乗効果でものすごいパワーを生み出すんですよね。
確かに、依存心は取り扱いに注意しないと、厄介なものになってしまいます。いわゆるクレクレ星人になってしまったり。
でも、「これがどうしても欲しい」「このやり方じゃなきゃイヤ」といった、ある意味自分勝手なこだわりや要求を手放して、
「困っているから、これをやってくれたら助かる」
「しんどいから、このことをお願い。やり方は、あなたに任せる」
「ちょっと分からないから、良かったら教えて」
「寂しいから、時間を作ってもらえると嬉しい」
そういうお願いは、お互いの繋がりを産む相互依存のコミュニケーションなのだと思うのです。
私を含め、自分が何とかしなければ!しっかりしなければ!誰も助けてくれない!と思って生きてきた人にとっては、言うは易し行うは難しですけれどね。
応援して下さい、と言ったら、たくさんの友人や仲間やクライアントさんが名乗りを上げてくれました。
メッセージを下さったり、プレゼントを下さったり、飲み会を企画してくれたり、心から相談に乗ってくれたり。
その一つ一つが、私にとってはかけがえのないお気持ちです。
私が勝手に1人になっていたし、みんなのことを信頼していなかったし、自分が思っているよりも愛されていることを受け取れなかったんですよね。
だけど、前回の記事で、「第1位:クライアントさんの「ありがとう」を心から受け取ることができるようになってきた」を書いて、私のやってきたことは無駄じゃないし、役に立ってるし、何なら居るだけでも価値があるし(笑)、と自己肯定感が上がって、
なーんだ、みんな私が笑顔だとみんなも嬉しいんじゃん。
と、安定の調子に乗りました(笑)
こんな私ですが、私が私でいて、心から、良かったなあ、自分にありがとう。と思うのです。
ではでは、皆さま、よいお年をお迎えください。本年は本当にありがとうございました!
個人セッションを申込む
小川正美の個人セッションは、①法律相談、②法律相談+カウンセリング、③カウンセリングのいずれも可能です。どのカテゴリか判別ができなくても、構いません。お気軽にどうぞ。
ご予約方法 ・上記コンタクトフォームから、第1~第3希望日時/対面・オンラインいずれかのご希望をお知らせくださいませ。 ・折り返し、日時と料金のお支払ご案内のお返事をいたします。仮予約が完了いたます。 ・セッション料金(初回:11,000円/60分、2回目以降:22,000円/60分)の着金をもって、本予約が完了いたします。 |
